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気づくのが遅かった

わたしは親父が大嫌いだった。

親父を師事し庭師の世界に入ったが
考え方、やり方、生き方そのものが
何もかもが違いすぎるそう思い
この人とは相性が悪すぎると思っていた。

そんな思いを持ちながら28歳で会社を引き継ぎ社長になり29歳で親方になった。
この辺りで親父は引退し、ある出来事をきっかけに親父は実家を出てそれ以来疎遠となった。

わたしは親父がいなくなった後の会社で親方としての立場で何年も過ごし、お袋、姉、弟、そして従業員達に助けられながら、社長として、親方として、とてもとても大切な事を学ばせて貰った。

そして、何故親父があの時あんな判断をしたのか…
何故いつもあんな事を言っていたのか…
何で…
そんなことをたくさん気付かされた。

親父に嫉妬していたに過ぎなかった。

考え方、やり方、生き方そのものが何もかもが違いすぎるそう思っていたのはわたしの間違いで
単に親父に嫉妬していたに過ぎなかった。

地方の小さな街だったが庭師としてはそれなりに名の通った職人で、県内に限らずいろんな所に呼ばれるほどで、その長男ともなれば「〇〇さんところの長男坊」としてどこに行っても扱われた。

名前じゃなく「〇〇さんところの長男坊」と呼ばれわたしの存在は全く感じる事はなかった。
そんな中で同じ庭師の世界に入り、どんな仕事をしたところで先代と比べられそして、やはり先代には敵わない…と感じるようになって行った。

ところが、人は先代とわたしを比べてなんかいなかった。単にわたしが自分と先代を比べ負けず嫌いな性格もあってか、勝手に悔しい思いを抱き、それを何処かで何もかもが違うとすり替えていただけだという事に気付かされた。

時すでに遅し…

この時は親父と連絡を取る勇気もなく、そのまま茨城へと来てしまっていた。

ところが、そんな10年以上の空白をカミさんが一瞬で埋めてしまった。
「わたし、お父さんに結婚の報告をしたい。お父さんに会いたい。」
という一言で、親父と会う機会を作ってくれた。

そんな事もあってか親父はカミさんが大好きで、カミさんの携帯に「皆んな元気ね?、元気ならよか」と用もないのに電話をして来てはカミさんと話していた。

そんな親父のお気に入りの写真、わたしが撮った妻の肖像
「これは恵美ちゃんやろ?? いい写真や」

見えていたのかどうかはわからない(笑)、年末年始の慌ただしく痺れるほどの寒い日に、カミさんが棺に入れてくれた写真集と一緒に親父は逝った。

今年も足の指にしもやけができた(笑)
それを見ると思いだす。
いつものようにがむしゃらに仕事できないせいか
いろんな事を思い出す冬になった。

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