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最後に教えてもらった事

親父が亡くなる少し前のことだった。

突然わたしに電話がかかってきて「お前が撮った写真が見てみたい」と言い出した。

それまで、電話はいつもカミさんにかけてきていたのに、
しかもわたしの写真が見たいだなんて、決してそんなことを言う人ではなかった。
なんか変だな…と思い、いくつかのプリントを持って実家へ帰った。

肺がんを患い闘病中だった親父は、顔がむくみ髪の毛が抜けたのを隠すためか、カミさんが編んで送ってくれた毛糸の帽子で隠し、わたしの記憶に残っている親父とは違っていたが、それでも笑顔でよく喋った。

幼い頃から親父に褒められた事は記憶に無い。

根っからの職人だった親父は現場でも丁寧に教えることはなく「見とけ」と言うだけの親方で、結果に対しても褒める事は無い人だった。
そんな親父が初めてわたしを褒めた。


この時、わたしはもうお別れだな…と感じた。
その一月後、親父は亡くなった。

一流の庭師になりたければ

庭の事だけ勉強していてもダメだ
もっとたくさんの本を読みなさい
もっとたくさんの音楽を聞きなさい
もっとたくさんの絵を見なさい
もっとたくさん旅行しなさい
もっとたくさん美味しいものを食べなさい
そこで見て聞いて感じた事を、お庭で活かせるようで無ければ、一流にはなれないぞ、そう爺さんに教わった。だからお前ももっとたくさん好きな事をやれ、そう聞かせてくれていた。

最後に棺の中に入れ見送った。

そんな親父が、わたしが作った庭を褒めることは一度もなかったが、写真は褒めてくれた。
いい写真だと気に入った様子だった数枚と、わたしの作品が掲載された写真集を、最後に棺の中に入れ見送った。

暮れの慌しい時期に突然電話をかけてきて、慌てて飛行機を手配して帰り、そして年明け早々の葬儀でさらに慌ただしい年末年始だった。

葬儀の後で、最後まで面倒見てくれていた弟が、4回の抗がん剤の投与に耐え「まだ孫の顔が見ていたい」と頑張っていたが、最後は脳に転移していたらしく、だんだん声も良く聞こえなくなり、目もよく見えなくなっていたようだったと教えてくれた。

最後を感じていたのか、それまでわたしの作品を見たいなんて言った事はなかった親父が、お前の撮った写真が見たいと言い、そして、そんな親父に「いい写真」に見えた写真。

わたしには分からない。

親父にはどう見えていたのかはわたしには分からない。ただ、作品とはそういうものなんだぞと最後の最後に教えてくれたんだと思う。

あれからもう何年経つんだろう…

もう随分前のような気もするが、つい最近のような気もする。
今のわたしをニヤニヤ笑って見ているだろう(笑)

年末の慌ただしさの中、寒くてレリーズを持つ手がかじかんで痛くなると思い出す。
そしてもっといろんな事をやってみたくなる。
そしてもっともっと撮りたくなる。

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